結城紬の歴史

結城紬の歴史

結城紬(ゆうきつむぎ)には二千年の悠久の時が流れている。

結城紬を育む結城の地は、関東平野の中央・筑波山の裾野を流れる鬼怒川沿いの肥沃な土地で、古くから養蚕が盛んな織物の産地です。

結城紬の歴史は、「延喜式(えんぎしき)」「常陸風土記(ひたちふどき)」に記されている“長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)”まで辿ることができます。朝貢として朝廷に上納されていた絁(あしぎぬ)とは、手でつむぎだした太糸の絹織物(=あしき絹)であり、現在も日本各地に残る、様々な紬織物の原形とされています。その古代からの作り方を未だにとどめているのが、この結城紬なのです。

絁はいつしか常陸紬と呼ばれるようになり、その質実剛健な風合いは、源頼朝や鎌倉時代から江戸時代まで結城を統治した結城家など、質素を尊ぶ武家に好ましく受け入れられました。「結城紬」と呼ばれ商品として流通するのは江戸時代以降で、反物は鬼怒川の水運により舟で江戸の街へ運ばれました。弊社資料館「手緒里」には、“結城紬の値段が高いので価格を下げて欲しい”という江戸呉服店からの団体交渉の手紙が残っており、当時の人気を伺うことができます。あまり知られていないことですが、当時の結城といえば男もので、大店の旦那衆や武士などに好まれ、江戸の「粋」という美意識をある面で支えていました。

江戸時代の終わりに「絣(かすり:模様のこと)」が織られるようになると、近代化にともない男性の洋装化が進むとともに、明治以降の結城紬は女性のおしゃれ着として進化していきます。絣の技術が高まるとともに、亀甲模様を使っての柄表現が特徴とされ、縮(ちぢみ)織りの隆盛が見られるなど、生地の質感、デザイン、ともに様々な表現が花開いていきます。

結城紬は、1956年(昭和31年)に「糸つむぎ・絣くくり・地機(じばた)織り」の3工程が国の重要無形文化財として指定。卓越した技工は世界的にも守るべき貴重な技として、2010年(平成22年)にはUNESCO無形文化遺産にも登録されました。

古の技を伝えながらも今を生きる絹織物として、時代の感覚に合う新しいデザインが日々生み出されています。また卓越した技術を背景に、ショールなど洋服にも合わせられる商品も登場しています。日本の誇る伝統はその悠久の歴史を継ぎながらも、自ら革新していくことにより、次の時代へと繋がっていきます。

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